千歳烏山、烏山、賃貸、賃貸物件、賃貸マンション、お部屋探し、部屋探し、学生
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京王線 千歳烏山 街の住人の声
本日もWINS千歳烏山のブログをご覧頂きありがとう御座います。
今日は物件の紹介はお休みして、千歳烏山に住む街の人々に千歳烏山についてきてみました

町の人の声を聞けば、千歳烏山のことが分かるかもという事で
ブログでご紹介させて頂きます


まずは創業40年以上の老舗京王メガネセンターさんから
千歳烏山についてお話聞いてみましょう

『ふれあいの街』
当店は、昭和40年3月に私の父が個人店として開業したのが始まりです

開店当時は、10坪位の店内に所狭しと商品を並べており、物がよく売れた時代でした


幼かった私は、よく両親が働く店先で、遊んでいるところを近所のお店の方やお客さんに連れられてオモチャ屋さんで手軽なオモチャやお菓子を買って頂いたのを覚えています

その頃は私も可愛かったのだ・・・・
そう、その頃は今のように物騒ではなかった・・・
勿論悪い事をする人はいたと思うが、今のように小さい子供が危険にさらされる事はそんなになかったと思う
あれから約40年近く経ち、烏山の街も大きくかわった。
最近では子供だけで安心して遊べる場所が少なくなった
知らない人から物をもらったり、知らない子とは遊ぶ事が少なくなったり、かなり自由な世界が狭くなってしまった
ただ、そんな中でも「烏山」は昔から永く住んでおられる地主の方が多く、比較的地元意識が強く残っている「いい所」です」

私達商店街の営業もそうした地域の人々を大切にして下さるお客様のお陰で成り立っている
大手チェーンが宴占化してくる中で、私達の命綱は特に地元のお客様です
時代と共に物の買い方も.変化しています。
今では、パソコンや携帯でお金がなくてもお店に行かなくても品物を入手する事は出来ますが、本来の買い物の楽しさとはお店とお客様が世間話等やりとりの中で、品物を買って行く事だと思います
私たちの街には、昔から住んでいる人、温かみのある商店がたくさんあります。
ひとつひとつの店がお客様を大切にする。大手に負けないお客様との絆を大切にしながら単に商品とお金の交換だけでなく、ふれあいや会話を大切にした街づくりをしていきたいと思っています


続いてはこの方です
この街に来てから20年
『千歳烏山大好き』
ちとせフラワー 店主 田部井 弘子さん
この街に来てから20年、下町育ちの私が感じたのは、空が大きく、緑が多い事でした

毎日、畑の景色 を横目に出勤し、遠足気分でしたが近年は、少しずつ、マンションなども増え、人気度が高い街だと、益々感じています

下町の人なつっこさとは、一味違う温かさを感じ、直ぐに溶け込む事が出来ました
昔からの、 行事を大切にしながら、新しい事や、店を受け入れ、さびれる事なく楽しい街
烏山私の働く『ちとせフラワー』は、創業44年
まだ舗装もされていない道の頃から、地元の方々に良くして頂き、育てていただいたそうです
創業した頃は、店の数も少なく、今では見られなくなった、味噌屋さんもあったそうです
懐かしい店は消えてしまったけれど、何でも揃う、便利な烏山には、間違いないです


毎週の様に来店頂く方も、年に一度のイベントでいらっしゃる方も、どんな方でも、花を必要とする同じ気持ちで、いらしていただくので、こちらも、出来る限り、ご希望の物を喜んで頂ける様に頑張っています

どんな事も、心が大切だと思います

是非、烏山を探索しにきて下さいね

続いてはこの方
『千歳烏山 大好き!!』
モスバーガーの店長さん
昭和30年、5歳で烏山の地に触れて以来、いにしえの懐かしい思い出と楽しく変化する様は、私の貴重な財産です

子供の私にとって最初に飛び込んできた烏山のサプライズは現在の烏山住宅以前に存在していた公園で、紅葉に覆われた池があり、今でも幻のような美しい思い出

また、子供の心を奪ったのはやはり駄菓子屋さん

3店舗あって1個1円のあんころから、5円10円の世界
舌が赤や緑に染まってすぐに親にバレたりもした。甘酸っぱい思い出です
当時は普通の本屋さんが少なく、貸本屋さん2店舗あり、10円で借りられました

三永ショッピングセンターのできる前にあった「日曜学校」と呼ばれていた小さな教会があって、クリスマスの日にだけお菓子をもらう目的で仲間と行った思い出
あと圧巻は、どこでもテレビを買えない時代、「高崎靴店」の居間に20人位の子供達が押しかけて、“力道山”のプロレス、“月光仮面”を目を輝かせて見ていました

大歓迎で開放して頂いて楽しい思い出を作る事が出来、今でも感謝しています
それと、忘れてはいけないのが「烏山映画館」。子供 55円で3本立て

東映のチャンバラ・日活の裕次郎、小林旭のアクション・東宝の森繁の社長シリーズ

母親と妹といなり寿司を食べながら見て、子供なりに感性を高めてもらった良い思い出
今から思うと当時は時間がゆっくり動いていたように感じます。人口も少なく、あちこちに空き地があり、広々と“凧揚げ”が出来ました

京王線はまだ3両で、6番街の人通りも少なく、ミスターDの所にあった銭湯が開く3時前には、30分間に一人位しか通らない時代でした。

6年間通った烏山小学校は区民センターに変わっていき、淋しい思いもあるが、楽しいイベントや素晴らしい集まりの場を提供して頂いて、街の活性化には大変な影響を与えたと喜んでおります
その後、西口踏み切りがなくなり、かなりのスピードで走り抜けていた車も排気ガスも少なくなり、6番街の人通りも3倍近く増え、買い物は大変し易い商店街としてお客様に喜んで頂いております



最後に、烏山の素晴らしいところは、駅周辺に店があり店内から暖かい元気な声が聞こえてくる親しみのある商店街です
その周りを囲んでいる閑静な住宅が控えているバランスの取れたところです

本当に良い街で、とても大好きです


いかがですか
こんなにいろんな人たちに愛されている街
それが千歳烏山です

駅前の商店街にはほんとに沢山のお店がひしめき合っていてにぎやかです














このほかにも数え切れないくらいお店はあります
スーパーから個人の肉屋さん・八百屋さん・魚屋さん・惣菜屋さんや
薬局・金物屋さん・服屋さん・美容院などなど
生活に必要な物は全て駅前で揃ってしまいます

今日は物件の紹介はお休みして、千歳烏山に住む街の人々に千歳烏山についてきてみました


町の人の声を聞けば、千歳烏山のことが分かるかもという事で
ブログでご紹介させて頂きます



千歳烏山についてお話聞いてみましょう


『ふれあいの街』
当店は、昭和40年3月に私の父が個人店として開業したのが始まりです


開店当時は、10坪位の店内に所狭しと商品を並べており、物がよく売れた時代でした



幼かった私は、よく両親が働く店先で、遊んでいるところを近所のお店の方やお客さんに連れられてオモチャ屋さんで手軽なオモチャやお菓子を買って頂いたのを覚えています


その頃は私も可愛かったのだ・・・・

そう、その頃は今のように物騒ではなかった・・・
勿論悪い事をする人はいたと思うが、今のように小さい子供が危険にさらされる事はそんなになかったと思う

あれから約40年近く経ち、烏山の街も大きくかわった。
最近では子供だけで安心して遊べる場所が少なくなった

知らない人から物をもらったり、知らない子とは遊ぶ事が少なくなったり、かなり自由な世界が狭くなってしまった

ただ、そんな中でも「烏山」は昔から永く住んでおられる地主の方が多く、比較的地元意識が強く残っている「いい所」です」


私達商店街の営業もそうした地域の人々を大切にして下さるお客様のお陰で成り立っている

大手チェーンが宴占化してくる中で、私達の命綱は特に地元のお客様です

時代と共に物の買い方も.変化しています。
今では、パソコンや携帯でお金がなくてもお店に行かなくても品物を入手する事は出来ますが、本来の買い物の楽しさとはお店とお客様が世間話等やりとりの中で、品物を買って行く事だと思います

私たちの街には、昔から住んでいる人、温かみのある商店がたくさんあります。
ひとつひとつの店がお客様を大切にする。大手に負けないお客様との絆を大切にしながら単に商品とお金の交換だけでなく、ふれあいや会話を大切にした街づくりをしていきたいと思っています



この街に来てから20年
『千歳烏山大好き』
ちとせフラワー 店主 田部井 弘子さん
この街に来てから20年、下町育ちの私が感じたのは、空が大きく、緑が多い事でした


毎日、畑の景色 を横目に出勤し、遠足気分でしたが近年は、少しずつ、マンションなども増え、人気度が高い街だと、益々感じています


下町の人なつっこさとは、一味違う温かさを感じ、直ぐに溶け込む事が出来ました

昔からの、 行事を大切にしながら、新しい事や、店を受け入れ、さびれる事なく楽しい街
烏山私の働く『ちとせフラワー』は、創業44年

まだ舗装もされていない道の頃から、地元の方々に良くして頂き、育てていただいたそうです

創業した頃は、店の数も少なく、今では見られなくなった、味噌屋さんもあったそうです

懐かしい店は消えてしまったけれど、何でも揃う、便利な烏山には、間違いないです



毎週の様に来店頂く方も、年に一度のイベントでいらっしゃる方も、どんな方でも、花を必要とする同じ気持ちで、いらしていただくので、こちらも、出来る限り、ご希望の物を喜んで頂ける様に頑張っています


どんな事も、心が大切だと思います


是非、烏山を探索しにきて下さいね


『千歳烏山 大好き!!』
モスバーガーの店長さん
昭和30年、5歳で烏山の地に触れて以来、いにしえの懐かしい思い出と楽しく変化する様は、私の貴重な財産です


子供の私にとって最初に飛び込んできた烏山のサプライズは現在の烏山住宅以前に存在していた公園で、紅葉に覆われた池があり、今でも幻のような美しい思い出


また、子供の心を奪ったのはやはり駄菓子屋さん


3店舗あって1個1円のあんころから、5円10円の世界

舌が赤や緑に染まってすぐに親にバレたりもした。甘酸っぱい思い出です

当時は普通の本屋さんが少なく、貸本屋さん2店舗あり、10円で借りられました


三永ショッピングセンターのできる前にあった「日曜学校」と呼ばれていた小さな教会があって、クリスマスの日にだけお菓子をもらう目的で仲間と行った思い出

あと圧巻は、どこでもテレビを買えない時代、「高崎靴店」の居間に20人位の子供達が押しかけて、“力道山”のプロレス、“月光仮面”を目を輝かせて見ていました


大歓迎で開放して頂いて楽しい思い出を作る事が出来、今でも感謝しています

それと、忘れてはいけないのが「烏山映画館」。子供 55円で3本立て


東映のチャンバラ・日活の裕次郎、小林旭のアクション・東宝の森繁の社長シリーズ


母親と妹といなり寿司を食べながら見て、子供なりに感性を高めてもらった良い思い出

今から思うと当時は時間がゆっくり動いていたように感じます。人口も少なく、あちこちに空き地があり、広々と“凧揚げ”が出来ました


京王線はまだ3両で、6番街の人通りも少なく、ミスターDの所にあった銭湯が開く3時前には、30分間に一人位しか通らない時代でした。


6年間通った烏山小学校は区民センターに変わっていき、淋しい思いもあるが、楽しいイベントや素晴らしい集まりの場を提供して頂いて、街の活性化には大変な影響を与えたと喜んでおります

その後、西口踏み切りがなくなり、かなりのスピードで走り抜けていた車も排気ガスも少なくなり、6番街の人通りも3倍近く増え、買い物は大変し易い商店街としてお客様に喜んで頂いております




最後に、烏山の素晴らしいところは、駅周辺に店があり店内から暖かい元気な声が聞こえてくる親しみのある商店街です

その周りを囲んでいる閑静な住宅が控えているバランスの取れたところです


本当に良い街で、とても大好きです



いかがですか

こんなにいろんな人たちに愛されている街

それが千歳烏山です


駅前の商店街にはほんとに沢山のお店がひしめき合っていてにぎやかです





このほかにも数え切れないくらいお店はあります

スーパーから個人の肉屋さん・八百屋さん・魚屋さん・惣菜屋さんや
薬局・金物屋さん・服屋さん・美容院などなど
生活に必要な物は全て駅前で揃ってしまいます


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