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WINS千歳烏山の賃貸ブログを御覧頂き誠に有難う御座います
本日は、物件の御紹介ではなく
自然溢れる観光スポットを御紹介させて頂きます
寺町通りには26個ものお寺があります
烏山寺町の成り立ち
関東大震災の時に、浅草・本所・荒川・築地・麻布そして、新宿、渋谷など東京市内(当時)にあった寺が、震災によって鳥有と化し、復興のために区画整理がなされ移転を余儀なくされました。そしてこの地に移転を始めたのは、大正末年から昭和初期の頃でした。
当時の烏山の地域は、畑・山林などの荒地でしたが、まず道路が拡幅し、次々に新しい本堂、庫裡が新築され、境内は整備され、作庭がなされていきました。そして、今日歴代住職方の寺門復興に捧げた労苦は実り、樹木は大きく育ち、日本的な優美さを持つ寺院建築と調和して、いつしか「小京都」と言われるほどの緑と静寂の漂う街並みをつくりだしています。
寺町の自然
烏山は、日本で最初に住民自らの手で、地域の自然環境を保全していくことを宣言し「寺町の環境協定」を制定した町でもあります。この地は、春は桜、夏は緑、秋には鮮やかな紅葉、冬には鴨が飛来する緑と静寂の自然環境を形成しています。そして、これらの景観と環境は、周辺地域の環境向上と保全に少なからず貢献をしています。
烏山寺町 みどりのモデル地区指定について
「残された緑の保護と回復をはかり相互協力によって、豊かな住環境をつくることを目的とする」みどりのモデル地区協定は、そうした趣旨をもとに、昭和54年12月12日、世田谷区と烏山寺町との間に締結されたものです。この趣旨は、時代は変わっても変わらずに今日の寺町に受け継がれています。
一つ一つお寺を御紹介しようと思ったのですが
さすがに長文になってしまいますので
本日は、その中でも世田谷100景に登録されている
『高源院』を御紹介させて頂きます
『高源院』
開基頼元は久留米21万石の英主であったが、晩年菩提寺祥雲寺輪番怡渓大和尚の高徳を慕い、仏道に帰依し、藩地に一宇を建立し東林寺と称し、また江戸品川に一寺を創立、怡渓和尚を招いて開祖とした。これが高源院である。その後昭和11年当院復興計画の下、現在の地に移転。敷地内に一大泉地をなし、その中央に浮御堂を建立し、弁財天を奉安した。
『鴨池 』
北烏山・寺町の北の端にある高源院は、弁天池に浮かぶ浮御堂の写真が寺町の
象徴として紹介されることが多くなっております。
世田谷区の特別保護区に指定されている湧水の池は、
冬にはシベリアからたくさんの鴨が飛来することから鴨池とも呼ばれております。
夏の季節は、紅白の睡蓮と黄色いこうほねの花が見事に咲き広がっております。
池の中には鯉や亀が住んでおります。。。。。
高源院・弁天池 (鴨池)
別名鴨池とも呼ばれ池中には浮き御堂があります。
初夏は睡蓮などの花も綺麗で、烏山を代表する景観として区の
特別保護地区に指定されています。
高源院境内
禅寺らしく手入れの行き
届いた境内が静けさに包ま
れています。
睡蓮・蓮
一際、目立つお寺は10番の『妙祐寺』を御紹介致します。
妙祐寺
当寺は、弘安9年(1286年)一遍上人建立から時宗であった。当時は、天護山円証寺と称していたが大永年間(1521~27年)に兵火の災を受けて廃絶した。その後、寛永2年(1625年)浄土真宗の僧、了頓が渋谷の土中より阿弥陀仏像を発見し、これを本尊として満歳山学恩寺と称した。寺では了頓を中興の開山とする。その後延宝5年(1677年)寺号を妙祐寺と改めた。昭和20年の世界大戦の際、戦火により全堂を消失し、現在地に昭和23、4年にかけて墓地を移転し現在に至っている。
迫力あるお寺ですよねぇ~
こんなお寺が東京のど真中にあるとは思えませんっ
他のお寺は実際に行かれてみて下さい。
お部屋探しの際には
是非、当社に御来店下さい。
宜しくお願い致します。
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